〜古代エジプト最後の女王〜


古代エジプト最後のファラオは、絶世の美女として有名なあのクレオパトラです。正確にはクレオパトラ7世といいます。父は「笛吹き王」のあだ名を持つプトレマイオス12世ですが、ローマに媚び諂う笛吹き王は追放され、クレオパトラの姉であるベレニケが王位につきます。しかし、笛吹き王はローマに賄賂を送り、王権の奪回に協力を取り付けます。そして援軍として派遣されて来るのが、後にクレオパトラとラブロマンスを演じるアントニウスでした。そして、戦闘の後、笛吹き王は勝利を収め、姉ベレニケは死刑に処せられます。この時、クレオパトラに次の王座が約束されたと言えます。そして、笛吹き王プトレマイオス12世の死後、弟のプトレマイオス13世と結婚、共同統治を行います。しかし、プトレマイオス13世とその後見人達は、姉の政治介入を嫌い、しだいにクレオパトラは政治の舞台から遠ざけられていき、ついに王座を剥奪されてしまいました。そんな折、一つの事件が起こります。三頭政治崩壊の後のローマで、ポンペイウスとカエサルの間で戦争が起こったのです。ポンペイウスはカエサルに敗れ、エジプトに逃げ込んできますが、プトレマイオス13世はカエサル有利と見るや、ポンペイウスを暗殺してしまいます。ポンペイウスを追ってアレクサンドリアにやってきたカエサルは、休養をするつもりでしばらく滞在します。それに目を付けたクレオパトラは、自分の王位奪還を懇願するため、カエサルに直訴する事を考えます。問題は、どうやって弟陣営の者に悟られずにカエサルの前に行く事が出来るか。クレオパトラの考えた方法は、自分が絨毯(あるいはベッドカバー)にくるまり、貢物を献上するという口実でカエサルの前に運んでもらうと言うものでした。作戦は大成功し、驚くカエサルを前に、自分の境遇を語り、協力を依頼します。カエサルは、頭の回転が速く勇気のあるクレオパトラに、次第に心を奪われていきます。そして、奪われていた王位をクレオパトラに返すよう、プトレマイオス13世に命じます。その後カエサルとクレオパトラは深い仲になっていきました。しかし、プトレマイオス13世側もただでは引き下がりません。密かにポティノス等、プトレマイオス13世の側近達が戦いの準備を進め、カエサルに戦いを挑みました。カエサルは直ちにプトレマイオス13世を軟禁し、ローマ属国に援軍の派遣を要請します。ポティノス側はアレクサンドリア港に停泊している船団を出航させようとします。それを阻止するため、カエサルは船団に火を放ちます。船団は全滅し、その火がアレクサンドリア図書館にも燃え移り、数々の重要な蔵書が焼失してしまいました。マネトのエジプト史もこの中にありました。そして、戦いの最後には、王宮から追放されたプトレマイオス13世率いる反乱軍はローマ軍に敗れ、プトレマイオス13世はナイル川で溺死してしまいます。


 抵抗勢力がすべて払拭され、クレオパトラはまさに絶頂期を迎えていました。カエサルとの間に男の子も生まれました。プトレマイオス15世となったその子供は、「カエサリオン」と呼ばれました。しかし、幸せは長くは続きませんでした。頼みの綱、カエサルが暗殺されてしまったのです。カエサルの遺言では、後継者はオクタウィアヌスが指名されていました。カエサリオンこそ後継者と考えていたクレオパトラには思いも寄らぬ事でした。ローマに滞在していたクレオパトラは、カエサリオンを連れ、エジプトに戻ります。カエサル亡き後、ローマで実権を握っていたのがアントニウスでしたが、カエサルの正当後継者を主張するオクタウィアヌスとの間で対立が生じていました。カエサルを支持していた者達はオクタウィアヌス側に着き、アントニウスの旗色はきわめて不利でしたが、レピドゥスという元カエサルの部下がアントニウス側につき、形勢が逆転します。オクタウィアヌスとアントニウスは一旦和睦し、レピドゥスと共に、第二回三頭政治が始まります。この時クレオパトラは考えました。オクタウィアヌスはカエサルの正当後継者の権利を主張しているから、カエサリオンの存在は疎ましいだろう。ことによったら亡き者にされる恐れもある。アントニウスにはそのような恐れは無いし、彼にカエサリオンこそ後継者であることを世間に認めさせるよう動いてもらえれば、幼いカエサリオンの後見人として共同統治も可能ではないか、と。アントニウスはカエサル暗殺の下手人を討伐した後、西アジアを治める事になり、シリアのタルソスに滞在していました。アントニウスは、クレオパトラに宛て、タルソスに出頭するよう命じます。そしてクレオパトラはこれに応じ、豪華絢爛な船団でタルソスに入ります。その時のクレオパトラの様子をシェイクスピアは「ヴィーナスも遠く及ぶところにあらず」と書き表しています。クレオパトラはアントニウスを船に招待し、豪華な接待の限りを尽くします。すっかり気を良くしたアントニウスは、クレオパトラに協力する事を約束してしまいます。アントニウスはカエサルと同じように、クレオパトラの虜になっていったのでした。クレオパトラもまた、カエサルの如く勇猛なアントニウスに惹かれていくのでした。
 クレオパトラは、アントニウスがアレクサンドリアに滞在している間、アントニウスに対しオクタウィアヌスをかたずけてくれるよう頼みますが、煮え切らない返事しか返ってきません。そんなアントニウスに対してクレオパトラの苛立ちが、次のようなエピソードでうかがい知る事が出来ます。ある日、アントニウスは港の中の船の上で釣りをしていましたが、全く魚がかかりません。そこで潜水夫を雇い入れ、海に潜って釣り針に生きた魚を掛けさせました。そして釣り上げる様子を回りに披露し、拍手喝采を浴びていました。ところが、からくりを知ったクレオパトラは、潜水夫に塩漬けの魚を掛けるように命じます。塩漬けの魚を釣り上げたアントニウスは周りから大笑いされます。そこですかさずクレオパトラがアントニウスに向かって言いました。「そのような釣り竿などは、私ども貧弱なパロスやカノプスの領主達におまかせくださいませ。将軍様、あなたの獲物は都市や州や王国なのでございますもの」


 しかし、アントニウスはクレオパトラの期待をかなえられる器の持ち主ではありませんでした。アントニウスの妻フルウィアがオクタウィアヌスに対して宣戦布告したのを知ると、怒り狂ったアントニウスは、戦争を止めるためアレクサンドリアを後にします。結局フルウィアはオクタウィアヌスに敗れてしまいますが、アントニウスはフルウィアを激しく責めます。それが元で?フルウィアは病で亡くなります。そして、アントニウスはオクタウィアヌスと和解をしてしまうのです。和解のしるしに、アントニウスはオクタウィアヌスの姉オクタヴィアを新たな妻に迎えました。きっとクレオパトラは腹わたが煮え繰り返る思いでいたに違いありません。実はこの時、アントニウスの頭の中は、東方のパルテア征服の事で一杯だったのです。新たな戦争を前にして、足元のゴタゴタはどうしても解決しておきたかったのです。
 それから3年の後、アントニウスはパルテア遠征の軍事協力をエジプトに求めるため、クレオパトラと会談を設けます。その席でクレオパトラが協力の代償としてアントニウスに突きつけた条件は次のようなものでした。
 ・自分と結婚する事
 ・アントニウスはエジプト国王のかわりに、全東方のアウトクラトル(絶対支配者)を名乗ること
 ・カエサリオンを正当王位継承者とみなす事
 ・エジプトの領土を第18王朝の頃の広さ(最も領土が拡大していた時代)に戻す事
以上を見返りに、アントニウスに対し軍事的・財政的協力を行うと言うものです。アントニウスは、これらの条件を承諾し、パルテアに攻め入ります。しかし、パルテア遠征は大失敗に終わります。クレオパトラはアントニウスの救助に駆けつけ、無事救い出す事に成功します。この時からアントニウスはクレオパトラに一切頭が上がらなくなり、オクタウィアヌスとの戦いが着々と準備されていきます。そして、更にオクタウィアヌスの姉でアントニウスの妻である、アクタヴィアを離婚させることに成功します。最後の抑止力を失った事で、アントニウスとオクタウィアヌスは戦争へ突入していきます。
 紀元前32年、アントニウス-クレオパトラ連合軍vsオクタウィアヌスの軍はギリシャのアクティウムで睨み合いを続けていました。数では勝るアントニウスの軍は、しかし、オクタウィアヌス軍の名将アグリッパの計略にまんまとはまり、狭いアンブラキア湾に閉じ込められてしまっていました。補給ルートは完全に絶たれ、そのまま何もしなくても壊滅するのは時間の問題と思われました。アントニウス軍の中には、艦隊を棄てて、陸戦に切り替えるべきだと進言するものもありましたが、クレオパトラが強行に反対します。恐らくは、陸戦に転じても勝ち目が無い事を十分に悟っていたのでしょう。海戦ならば、封鎖を強行突破できれば、互角の勝負が出来るかもしれない、と。そして紀元前31年9月2日、アントニウスの艦隊は、一列になってアンブラキア湾から脱出を図ります。クレオパトラの艦隊がその後から続きます。まず、アントニウスの艦隊とオクタウィアヌスの艦隊が戦闘を開始しました。そして、アントニウス側に被害が目立ち始めたとき、突如クレオパトラの艦隊がアントニウス軍を見捨てて、帆を上げてエジプトに向けて退却を始めました。これを見て驚いたアントニウスは、自軍がまだ戦闘中にもかかわらず、小型船に乗り移ると、単身クレオパトラを追いかけていきます。指揮官が逃亡した後もアントニウス軍は戦いを継続していましたが、最後には壊滅してしまいました。


 エジプトに逃げ帰ったクレオパトラは、敗戦で生気の失せたアントニウスを尻目に、軍備増強に着手します。ところが、エジプトの支配に不満を持つナバテアの軍が、残っていたエジプトの軍艦を焼き払ってしまったのです。これでもうクレオパトラにも打つ手は無くなりました。二人が立てこもるアレクサンドリアに、オクタウィアヌスの軍はじりじりと迫っていました。
 クレオパトラは我が子カエサリオンをインドに逃がす事を決意します。そして、二人は残った少数の軍隊を率い、最後の戦いに出陣していきました。ところが、エジプト軍の軍艦がローマ軍の軍艦と戦闘を開始すると思われたその時、エジプト軍はオールを投げ捨て、ローマ軍に投降してしまったのです。アントニウス率いる騎兵隊も、殆どが戦わずして敵側に投降し、アントニウスはほうほうの体で宮殿に逃げ帰ります。アントニウスはそこで、クレオパトラが自殺したと聞かされました。これはクレオパトラの伝言を誤って解釈した部下の報告でしたが、女王の死を聞き、アントニウスも死を決意します。「クレオパトラよ。自分も今すぐそなたの元へ行く」と言って、部下のエロスに自分の命を絶つよう命じます。するとエロスは自分の剣を抜くと、それを自らの胸に突き立てました。エロスは身をもって「最後の勇気」のあり方を示したのでした。アントニウスはこれに感動し、そして自ら胸を突いて倒れたのでした。そこにクレオパトラの使者が現れ、まだ息のあるアントニウスが発見されます。すぐさまアントニウスはクレオパトラの下へ連れていかれました。そして、クレオパトラの腕の中で息を引き取ったのです。最後の言葉は「悲しむことはない。自分はローマ人だ。ローマ人に討たれて死ぬなら本望だ」でした。
 クレオパトラはアントニウスの死後、オクタウィアヌスに囚われの身となります。オクタウィアヌスはクレオパトラを殺してしまうよりも、ローマに連れ帰り見世物にしようと考えていました。あるいはもしかすると、カエサル、アントニウスと歴代の名将を虜にした、このエジプト女王を自分のものにしたくなっていたのかもしれません。オクタウィアヌスはクレオパトラにアントニウスの葬儀をする事を許しますが、その最中も、クレオパトラの自殺を最も警戒していました。その数日後の晩、クレオパトラの部屋に一つの籠が届けられました。見張りが中をあらためると、中にはイチジクがぎっしり詰まっていました。見張りは不審には思わず、そのまま籠を持っていくことを許可しました。クレオパトラが籠を受け取ると、ただちに籠からイチジクを取り除き始めました。籠の底から姿をあらわしたのは、一匹のエジプト・コブラでした。その時、オクタウィアヌスはクレオパトラから一通の手紙を受け取っていました。そこにはただ一言、自分をアントニウスの隣に葬って欲しい、とだけ書かれていました。オクタウィアヌスはすぐさま部下をクレオパトラの下に走らせます。そこで彼等が目にしたのは、女王の衣装を纏い、宝石を身に着けた姿のまま、胸をコブラに噛ませて息絶えていたクレオパトラの姿でした。
 クレオパトラの死後、インドで母親の死を知らないカエサリオンの元に、オクタウィアヌスから使者がやってきました。使者はカエサリオンに向かって言いました。「あなたの母上は生きておられます。今すぐエジプトに戻って、一緒にエジプトを再建なさい」 カエサリオンはこの言葉に疑いを持たず、すぐさまエジプトに帰ります。そこでカエサリオンは捕らえられ、命を奪われてしまいます。しかし、オクタウィアヌスは、クレオパトラがアントニウスとの間にもうけた3人の子供は、手厚く保護したのでした。